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日本との歴史上のつながり

始まりは

ナットウエストグループと日本との歴史上のつながりは1859年まで遡ります。当社の母体の一つである ABNアムロの前身のオランダ貿易会社(Netherlands Trading Society)はこの年、外国企業として初めて日本における支店の開設許可を受けました。まずは長崎に、その後は他の都市でも支店が開設されましたが、1870年代後半に競争激化のため日本からの撤退を余儀なくされました。

アレキサンダー・シャンド

当社の行員であったアレキサンダー・シャンドはスコットランドで教育を受けた銀行家で、1860年代、1870年代を日本で過ごしました。シャンドは日本の大蔵省に招かれて銀行制度に関するアドバイスを提供し、講義を行い、また日本の銀行家のために実務書の作成もしました。

シャンドは1877年にロンドンに戻りましたが、日本との交友関係を保ち、その関係は一生を通じて重要なものとなりました。1927年、ジャパンタイムズはシャンドとその生涯について記述したA Friend of Nippon(仮訳:日本の友人)と題する小冊子を出版しています。

シャンドが日本で培った交友関係のうち最も重要で長期にわたるもののひとつとして、シャンドの伝書係であった高橋是清との関係が挙げられます。高橋は後に偉大な銀行家へと成長し、大蔵大臣の職を務め最終的に首相となり、日本の歴史だけでなく日本と英国との関係においても重要な役割を果たしました。

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高橋是清

高橋是清は1900年代初頭、日本政府が発行する外債の募集において中心的役割を担いました。この任務における高橋の成功を確実なものにした協力者のひとりがシャンドでした。シャンドがロンドンに戻ってから入行したアライアンス銀行は、後に当社の傘下入りしています。

1899年から1910年までの間、パーズ銀行は大日本帝国政府の外債8,000万ポンドの調達のためのコンソーシアムを主導しました。

1905年、高橋是清は資金調達業務のため数カ月間ロンドンに滞在しましたが、日本への帰国を前にしロンドンの友人たちは高橋のためにサボイホテルで晩餐会を催しました。当社(パーズ銀行)からはシャンドを含む8名が参加し、主賓である高橋の隣のテーブルでは当社の会長が高橋を迎えました。

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1920年以降

シャンドは1918年に引退しましたが、パーズ銀行は日本との友好関係を維持し続けました。1923年に関東大震災が起こると、当社の前身であるウエストミンスター銀行は日本政府のため、復興債による資金調達において国際協力を主導しました。この貢献への功労として日本政府は1927年、ウエストミンスター銀行に美しい金杯を贈り、当時の融資担当役員であったジョン・レイは旭日大綬章の叙勲をしています。

1950年から現在まで

1971年には、当社ナットウエスト(National Westminster Bank)が東京支店を開設し、1985年にはもう一つの母体であるRBSが支店を開設しています。ナットウエスト・グループはこれからも日本に強いコミットメントを持ちながら、日本のお客様に対し金融ソリューションを提供していきます。

事業の概要

ナットウエスト・マーケッツ証券会社は、ナットウエストグループの投資銀行部門の日本における営業拠点です。

主に外国為替・債券取引・資本市場関連などのサービスを提供しております。

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社長からのメッセージ

ナットウエスト・マーケッツ証券会社の社長からのメッセージです。

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